毒親育ちが毒親化しないための自制ブログ

毎日ギリギリの育児です。タイトル通り。

毒親育ちの恋愛②

 旦那様と出会ってなんやかんや付き合って結婚する話の続きです。人を好きになることも好かれることも怖くて諦めてしまう毒親育ちの方々にこんな事例もあるよとの、ご参考までに。(こっ恥ずかしいのであまり事細かくは書きませんよー!)


 キレイな思い出だけ持っていきたかった



 急速に仲良くなったのは高校2年の夏休みです。
 部活帰りの彼の人と駅近くでバッタリ会いました。自転車置いてくればいいのに、持ったまま30分くらい話し込んでしまって……。昼間から酔ったおじさんがぶっ倒れて慌てて二人で救急車を呼び、介抱して。そんなこんなで同じ電車で帰り、アドレス(この頃には携帯が持てました。)を交換してしまいました。
 週一くらいの頻度で連絡をとり、他愛ないことを話しました。SNSも普及しておらず、電話とメールが主な手段でしたが、夜は母親の世話(壊した茶碗や失禁の片付け)でなかなか返信できないことも。

 嫌われたくはないなぁ。友人くらいにはなれないかなぁ。

 母親に携帯を取られた時用に、彼の人の名前は女性名に変え、フォルダも偽装、履歴は全消去してました。

 「不純異性交遊はやめとけ」
 「あんたはブスなんだから、他を磨け」

 酔った母親は年頃の娘に、男がどんなに酷い生き物で、自分が夫にどんな扱いをされてるかを呪いのように毎日聞かせてました。相槌を打ちつつ、

 「私は彼氏できないから平気。勉強してるね」

 といってから自室に戻ることを繰り返してました。自室だけは母親と一緒にいたくなかったので、つっかえ棒をして襖を締め、追いかけてきても襖を挟んで会話しました。教科書を破かれたり、体操服に失禁されるのが嫌だったのです。

 親を見る度に「普通じゃない」と思い知らされる。そして「普通」に擬態しても必ず綻びは出る。「普通」を演じても本物の「普通」じゃない。私はーー「普通の女子高生」にはなれない。
 個性とかそういったレベルではなく逸脱してる家庭であることが、周囲に知られることが怖くて、尚一層自分を律し綻びが見えないように振る舞いました。
 自分で自分を追い詰めて、たまの電話で舞い上がって、家では地獄じゃないかと悲観して、多感な時期と重なり情緒は内心ガタガタでした。


 高校3年にもなると受験やら学祭やらで忙しくなって、彼の人と教室でもよく話すようになって。
 なんとなくいい雰囲気のまま、キレイな思い出として卒業を迎えました。


 続きます。