毒親育ちが毒親化しないための自制ブログ

毎日ギリギリの育児です。タイトル通り。

新米ママが毒親になった話③

 こちらは管理人が第一子を出産し、第二子を妊娠する直前までの話その3です。タイトル通り。今でこそ穏やかな日が続いてますが管理人にとって本当に余裕のない日々を育児日記から抜粋して残します。自傷?表現注意です。


大好きなのに。


 一歳半前あたりから、ちびはお昼寝をしなくなりました。さりとて夜早く寝るわけではなく、22〜24時くらいの間に寝落ちました。いつも20時には布団に入るのですが、そこからが長かった。既にやることは山積み。日中にお散歩して2、3キロ歩かせても寝ません。これではますます痩せてしまう。

 なんで寝ないの?
 遊び足りないの?
 これ以上わからないよ!!

 強い語調で「寝ろ!!」と叫んでました。怖かったでしょう。ちびは泣きました。寝ぐずりよりも母親が怖くて泣いてたんだと思います。

 睡眠不足、体調不良、やること山積みの中で、ちびの健康に疑問を持って内科皮膚科によく通ってました。そんな中、旦那様の転勤が決まり、荷造りも増えたのです。ただでさえやることできてないのに更に増え、その手伝いは休日であろうと無し。大掃除も妊娠してた頃から一人だったのでこうなるんじゃないかと覚悟はしてました。危惧してたちびの妨害はそれほど無く、ただぴっとり管理人にくっついてるか箱に入って遊ぶかしてるくらいでした。

 無事に引っ越しも終わり、また知らない土地での生活が始まりました。頼りにしていた小児科が、引っ越した月には跡継ぎ問題で閉鎖され、通える病院はバスを利用することになりました。少々田舎な所で、基本的にみんな車移動。旦那様の通勤用の車は購入しましたが、いざという時に管理人が使えるのはタクシー。免許は持ってますが車2台は持てませんでした。

 支援センターにも車がないと少し遠くに感じる場所で、ちびと二人きり。ちびは直ぐに環境に慣れましたが、体が弱いのは変わりません。雪の日に厚着させて歩いて(バスがかなり遅れて50分待っても来ないので)病院に行ったこともありました。毎回帰りにアイスを買って、薬を混ぜて与えてました。

 夏でも冬でも片道3キロの道のりを歩いて屋内遊戯施設で遊ばせ、(時に抱っこして)帰る。遊具の順番が守れないちびを何度も叱りました。もう来ないよ!と脅したこともありました。一歳半検診ではそこまで気にならなかった発語が気になり出したのは、施設で同年代の子と遊んだ時からです。2歳を過ぎても一言「ママ」「パパ」「わんわん」「いや」位しか言えず、自宅で意思疎通できないこともしばしば。

「あぁーいゅーあんぎゅるふるくれぇー」

 たまたま見せたYou Tubeで海外動画の真似をしてるのはわかりましたが、何を言ってるかはサッパリ。管理人一人では言葉かけに限界がありました。きっと、もっと言葉をかけて、一緒にTV見て、もっともっと同年代と遊ばせていたら語彙も上がったのでしょう。

 寝ない、食べない、喋らない

 「3ナイ」子の育児に疲れ果て、腹が立ち、それでも暴力はいけないと自分の太ももを殴ったり柱に頭を打ち付けて理性を保ってました。既に保ててませんが。

 ある時後追いが酷く何もできずにいたことにイライラして、キッチンで一人太ももを叩いていた時、振り下ろした拳が追ってきたちびの頭を掠りました。

 血の気が引きました。

 勿論ちびは泣きました。管理人も泣きました。痛かったねぇ。ごめんね。わざとでなくとも、暴力は暴力。自分の手が小さな小さな子を傷つけた。太ももが痣になるくらい叩いていたので、掠りとはいえ相当痛かったはずです。

 ギュッと抱きしめて、何度も後悔して、心中とか考えて、それでもそんな勇気も持てなくて。

 この子をどうか助けてください。私なんかじゃこの子を守れない。私からも守れない。

 怖い。苦しい。辛い。しんどい。腹立つ。○にたい。連れてけない。守りたい。守れない。アレと同類になる。いやだいやだいやだ。

 頭の中はグチャグチャで、小さなちびを抱えてどうすれば良いかも分からず、相談できず、救いを求めてネットに逃げました。


続きます。