毒親育ちが毒親化しないための自制ブログ

毎日ギリギリの育児です。タイトル通り。

新米ママが毒親になった話④

 第二子を妊娠する直前までの話その4です。タイトル通り。今でこそ穏やかな日が続いてますが管理人にとって本当に余裕のない日々を育児日記から抜粋して残します。


限界だった


 このままではいけないとわかりつつもどこにも助けを求めることなどできず、週3の頻度で屋内遊戯施設に行くも職員さんとも話さずママ友も作らずにいました。ただひたすら他の子の育児の風景をYou Tubeでみたり、精神を落ち着かせる為にどうすればいいかネットで検索する時間を多く取りました。ちびと粘土遊びやシャボン玉、砂場で遊びつつも携帯をポチポチ。写真も多く取りましたが、ちびが単体で写ってるのが多いです。

 ある日、外も雪が積もっていた時期のこと。
 熱があってどうしてもちびと遊んでやれそうになく、休日でゲームしている旦那様に、ほんの15分でいいから外遊びさせてくれるよう頼みました。
 案の定断られました。外に行きたがってグズグズ泣かれるよりも、外で散歩させたほうがマシだと思って、フラフラ外に出ました。2キロほど歩いた場所で、涙腺が決壊しました。

 言う事聞かないちび
 なんにもしない旦那様
 勝手なことをいう外野

 体調悪いこともあって、他人をコントロールできないことなんて当然なのに、上手くいかないことを嘆いて泣きながら座り込みました。

 道路を挟んだ反対側で、軽トラの上で作業していたおじいさんがこっちに歩いてきて、

 あぁ、何言われんだろ

 そうぼんやり考えていたら、ちびにリンゴを一つくれました。

 「おぅい、ぼうず。これやる」
 「え、いや頂けませんよ」
 「これはぼうずにやったんだ。じゃあな」
 「あ、ありがとうございます」

 直ぐにトラックに戻ってしまったので、お礼を言うしかできませんでしたが、ちびにリンゴを持たせたおじいさんは手を振ってました。ちびも振ってました。

 たったそれだけの交流が、なぜだかとっても救われた気がして。ちびはお礼言えないけど、手は振ってる。見知らぬおじいさんだし、普段なら怪しむところだけど、悪意あるようには見えない。ただ、子連れの親子にリンゴくれたんだ、私が座り込んでたからかも知れないけど、多分善意でくれたんだ……。その優しさに、これまた泣けてきてしまって。大げさですが、まだ人生捨てた物ではないな、なんて思ってました。

 あのおじいさんは、きっともう覚えて無いでしょう。たまに遭遇(?)して挨拶しますが、「おー、めんこいなぁ」「ニコニコしてるなぁ」と初めて会う幼児の対応を毎回してますから(数ヶ月に2、3回会うかどうかの上70過ぎくらいのおじいさんなので)。


 それからほんの少し、意識が変わりました。とにかくメンタルどうにかしないとヒステリー起こしてしまうので、日記を書いてみたり、家の掃除を徹底してみたり。ラジオ体操、瞑想、丁寧な暮らし、この頃からスピリチュアルな記事にも救いを求めて、ゾロ目はラッキーだの、盛り塩はいいだのやってみようと思うことはやりました。まぁ、グッズ買ったりはしてませんし気だの波動だのも目に見えませんが、そういう考えもあるんじゃない?程度に参考にしながら取り組んでいきました。子どもと旦那様、家事育児以外にしたい事を一つずつ毎日時間を作ってはやるようにしました。

 掃除は自分が汚いの嫌いだからやる
 炊事は自分が外食で浪費するの嫌だからやる
 ちびと遊ぶのは、自分がちびに笑ってほしいからする

 特別なことではありませんが、行動の根拠をはっきり自分に置いていくことで、「〜ねばならない」思考から脱却できました。

 鬱々したことや嫌なことがあっても、日記に書けば過去のこと。事実と感想を分けることで酷く悲観的になることも少なくなりました。

 ついでに旦那様に期待することは一切なくなりました。家事なんてやって欲しくないです。後片付けの方が面倒です。育児も週末のお出かけ予定も旦那様なしを前提にすることでイライラすることは少なくなりました。旦那様と私は違う個体であり、価値観も何も合いはしない、他人に強制することでなく、育児参加は自発的にするものであると思ってます。参加したくないならしなければいい。後悔するのは自分なのですから。
 旦那様は、ギャンブルも酒もタバコも暴力もせず、日々稼いでる、それだけでいいと思ってます。最低限許せないことを自分の中で決めて、それに抵触しない限り他の事はあまり口出ししなくなりました。出しても出さなくても結果は同じなのですから。


 他人との関わり方も変わってきて、随分メンタル落ち着いてきたなぁと実感したのは、ちびが2歳半くらいのこと。ちびの癇癪も笑って受け流せるようになってきていたのですが、……ちびの「心」に、ちょっと異変が起きているのに管理人はまた自分のことばかりで気づくことが出来なかったのです。


続きます。