毒親育ちが毒親化しないための自制ブログ

毎日ギリギリの育児です。タイトル通り。

毒親育ちの恋愛①

 旦那様と出会ってなんやかんや付き合って結婚する話です。人を好きになることも好かれることも怖くて諦めてしまう毒親育ちの方々にこんな事例もあるよとの、ご参考までに。(こっ恥ずかしいのであまり事細かくは書きませんよー!)



 出会いはまだ学生のころ。しかも厨二病拗らせる14、5歳くらいのことです。とはいっても、なんか隣のクラスでバカ騒ぎしてる集団の一員だった旦那様を個として認識してませんでした。仲良しだった友人(KYで妄想癖あっても移動教室一緒に行くような付き合いはあったのですよ!)と固定で仲良くしてくのに段々息が詰まってきたので(何様だ)、高校はなるべく同中の人が居ないところにしようとギリギリに進路を変更。ガラケーが普及し、高校生になれば持っているものと、卒業間近の友人たちはアドレス交換してましたが、私は携帯が持てず、連絡先を教えられても紙にメモして

 「あとで連絡するね」

 とウソをついてました。だって、買っては貰えませんでしたから。


 心機一転高校生になったそのクラスに、彼の人はいました。まさか同中から来たとか覚えてないよなー、女子に話しかけるわけないよなーとドキドキしながら息を潜めてましたが、まぁ自意識過剰。あちらはこちらの事など全く覚えてなかったそうです。ヨカッタハズカシイ(笑)

 地味かつ穏やかなスクールライフ

 をスローガンに掲げていた管理人が唯一つるんでいた友人が不登校になり、あー、ハブられるのは恥ずかしいなぁとか考えたり、数人のグループに入れてもらったり。山も谷もありましたが、お育ちの良いご家庭の真っ当な人が多いクラスでしたのでイジメもなく日々を概ね穏やかに過ごしてました。何かと張り合ってくる子に運動靴隠されたくらいですかね。中学で使ってたの使ったので「ちっちぇーことする奴だなぁ、ハッ」と思いつつも表面上スルーしてました。泥水被せたり髪切ったりしないんですよ!真っ当な人は!

 彼の人と第一接触はなんてことない、落とし物を拾ったのを届けただけです。
 彼の人は見目良く面白く管理人さえ空気読む中あえて我を通す人間でした。同じクラスで見かけてく内に、好ましいと感じるようになりました。話しかける勇気はなかったんですけどね。


 クラスの人間とワチャワチャ騒ぐこともあり、数回話しかけられたことはあります。管理人は「そこそこ勉強のできる図書室通いの地味子」に擬態してたので、大体が「ノート見せて」でしたが。嬉しかったなあ。そうやって浮かれる度に、

 お前が普通に恋愛できるわけ無いだろう
 両親見てみろ
 遺伝子的にお前はハズレだ
 「普通」の人に迷惑かける気か

 内心自分を蔑む自分がいました。好意を悟られることすら怖かった。告白するしないの問題ではなく、こんなイカれた両親の元育った自分の好意は毒で、彼の人みたいなキレイなものに向けてはいけないなぁと考えてたのです。何かの拍子に、授業参観とか三者面談で、親を見られるのが嫌でした。何を言うかわからない人たちでしたから。中学の時に、友達と遊んで17時くらいに帰宅する(前日に17時帰宅と伝えてます)と、友達の親に態々電話して

 「こんな遅くまで連れ回して!!」

 と怒鳴り散らしたり、学校の先生の携帯に、

 「先生、うちの子はーー」

 グダグダと酔って教育相談という名の愚痴を1、2時間垂れ流す迷惑極まりない存在でしたので。

 誰と友達だとか、学校の話は一切親に伝えたことはありません。聞かれたら勉強の話を主にしました。プライベートに踏み込まれるのが管理されてるようで酷く嫌で話さなかったのですが、不審には思わなかったようです。土日祝日等はバイト、平日放課後は部活、ご飯以外は自分の部屋(高校生になって空けてもらえました)でゲームする日々。家では自分の身の回りは一通り自分でやって、洗濯炊事も手伝う「母親にとっていい子ちゃん」に擬態して機嫌を伺って生活してました。何をどうしても不満を垂れ流す母親がストレスでした。現状を放置し逃げる父親ももう居ないものとしてました。

 もし、この両親と真っ当な彼の人が接触するようなことになったら耐えられない。何があっても好意は隠そう、そのうち消えると思って過ごしていました。



 続きます。